2021/06/13 16:17

弊社は70年ほど前から会社として繊維産業に従事しています。

その前は、武士と軍人でした。

武士の時代は、地域の子ども達に神社などで剣術を教え、
当時、栃木県小山に本陣を置いていた某武将を桐生に招く仲介役などをしていたそうです。
軍人の時代は、国のために様々な地域に派遣されていました。

全然繊維とは違う職業から繊維に参入してきたと感じると思いますが、
桐生はもともと小さな個人の機屋が多く

弊社の先祖もそれに漏れず小さな機織り機と蚕の養蚕、農業をし
蚕の食べ物である桑畑を栽培してました。(現在も残っている)

その中で一貫しているものは『着物や服を作る作業が身近にあった』事です。
着物の生産など、当時の桐生は織物が盛んに行われおり、
明治から大正にかけ洋服になるにつれ群馬県では国策で絹を『アメリカやヨーロッパ』へ輸出する拠点となっていた為、
着るものは困らず大正時代の写真はシャツを着てベストを羽織った先代が写っています。

しかし、その歴史の背景には『土地の恵み』があります。
以前も書いた通り、ものつくりで『水質』はとても重要です。

桐生の水質はサ○トリーがお酒を作る事に適している水と調べにきたくらい
ピュアな軟水が山より湧き出ています。

なので、日本の生地産地の生地を清らかな水で染め上げ、何代にも渡り紡がれた縫製工場さんの
技術を使い作られた服は、一朝一夕では出来ない歴史を紡いでいる一枚だと感じます。